BtoB大型商談を制する社内政治の可視化 ― 稟議・根回しに強いアカウントマネジメントとは
BtoBの大型商談で失注したとき、私たちはよく「政治力で負けた」と口にします。稟議が土壇場でひっくり返った。決裁が気づいたら別の方向を向いていた。誰が反対しているのかも分からないまま、話が立ち消えになった——。
WorldArxが提供している、法人営業のマネージャー層向け上位層リレーションシップ構築トレーニングでは、まさにこの「政治力で負けた」という感覚をほどくところから一日が始まります。
参加者に最初に問いかけるのは、こんな質問です。
「その"政治力負け"は、本当に政治に参加した上での敗北でしたか?」
実はこの一言の中には、まったく性質の異なる2つの負け方が隠れています。ひとつは、社内政治に首すら突っ込んでいなかった「蚊帳の外型」。誰が反対しているかも知らないまま、気づいたら決まっていたパターンです。もうひとつは、反対勢力の存在を把握した上で介入し、全力で政争を戦って、それでも敗れた「真の政治的敗北型」。
この2つは似て非なるものです。後者は、戦った上での敗北だから次につながります。しかし前者は、そもそも戦場に立ってすらいません。多くの営業パーソンが「政治力負け」と呼んでいるものの正体は、実はこちらではないでしょうか——この一日のワークショップは、この居心地の悪い問いから始まります。
世の中には、実によく整理されたセールスメソドロジーが数多く存在します。ヒアリングの型、提案書の構成、クロージングのテクニック。どれも有用ですが、共通する一つの弱点があります。「顧客企業の中で、誰が、なぜ、どう動いて意思決定に至るのか」という、生々しい人間模様の部分に、あまり踏み込まないということです。
無理もありません。組織内の力学、本音と建前、好き嫌いや異動の思惑——これらは体系化しづらく、教科書的なフレームワークにはなじみにくいものです。だが実務では、この見えない力学こそが商談の勝敗を分けています。
このワークショップが扱っているのは、まさにその領域です。ワークショップ内で使われる「アカウントマネジメント」の定義は、こう書かれています。
①顧客のビジネスと②社内政治力学を理解し、日本特有のボトムアップ型の意思決定システムにおいて、意思決定関係者から③消極的賛成の過半数を得るべく多数派工作を行う
「多数派工作」という、普段のビジネスの現場ではあまり聞き慣れない言葉が、あえて選ばれています。社内政治や多数派工作という言葉に、良いイメージを持たない人も多いでしょう。ただワークショップが伝えたいのは、駆け引きや裏工作を推奨する話ではありません。組織で意思決定が行われる以上、誰がどう考え、最終的に誰が賛成に回るのかという構造は必ず存在します。その構造を見えないままにしておくか、意識的に見えるようにして動くか——その差を扱っているにすぎません。
海外で設計された「エグゼクティブ・リレーションシップ・マネジメント」や「Cスイート・セリング」と呼ばれる手法の多くは、ある一つの前提の上に成り立っています。強い決裁権を持つ一人、あるいは少人数の経営層さえ押さえれば、そこから影響力が組織の下へと流れていく、という前提です。
日本の多くの企業では、この前提はそのまま成立しません。日本企業には「稟議書」と呼ばれる正式な提案書を作成し、関係する複数の部署・複数の職位を回覧しながら承認を積み重ねていく「稟議制度」が根強く残っています。ひとつの商談で、依頼元の部門長、情報システム部門、法務・コンプライアンス部門、経理部門、そして一人以上の役員クラスと、実に5〜15人規模の承認を経ることも珍しくありません。後ほど紹介する「B2B購買の意思決定関与者は平均13人」という調査結果も、まさにこの構造を裏付けるものです。
ここで欧米型のCスイート・セリングが崩れる理由は明確です。稟議は、影響力が上から下へ流れる仕組みではなく、下から積み上げられた合意が上で承認される仕組みだからです。稟議の回覧中に異論が出ること自体が「事前の根回し不足」とみなされる文化のもとでは、経営層がどれだけ鶴の一声で押し切ろうとしても、途中の部署の反対を覆すことはできません。むしろ、海外の商習慣でよく使われる「今月中に決めていただければ特別価格を」「役員から直接プッシュしてもらう」といった攻め方は、日本の商習慣ではしばしば性急・不躾と受け取られ、かえって商談そのものを白紙に戻されるリスクすらあります。
そして、稟議書が回覧される前段階にこそ、本当の勝負があります。「根回し」と呼ばれる、キーパーソン一人ひとりへの非公式な事前の合意形成です。稟議書が回った時点で、実質的な結論はすでに出ていることがほとんどで、正式な決裁はいわば手続き上の追認にすぎません。経営層だけを見て、この水面下の根回しのプロセスを見落としている限り、どれほど立派な提案書を作っても、勝負する場所そのものを間違えていることになります。
このワークショップが、冒頭の定義にわざわざ「日本特有のボトムアップ型の意思決定システムにおいて」という一文を明記しているのは、この構造を正面から前提に組み込んでいるからです。欧米で磨かれた理論を後から日本語に翻訳するのではなく、稟議と根回しという日本企業の意思決定の実態そのものを起点に、ダイナミックリレーションシップマップも、サポーター分析マップも、「消極的賛成の過半数」という目標設定も設計されています。輸入品のフレームワークに日本語のラベルを貼り替えたものではなく、日本企業の商習慣を前提に一から組み立てられている点こそが、このワークショップの優位性だと考えています。
このワークショップの中核にあるのが、「ダイナミックリレーションシップマップ」と呼ばれる可視化ツールです。これは組織図の代わりに、顧客企業内のキーパーソン一人ひとりを、関係役割と自社への感情の強さでプロットしていく地図です。
なぜ組織図ではだめなのでしょうか。ワークショップでは3つの理由が挙げられています。
まず、今の意思決定はプロジェクトベースで動くことが多く、組織図が示す指揮系統と、実際に影響力を持つラインは一致しないこと。次に、意思決定に関わる人数そのものが増えていること——ある調査会社の2024年の調査では、B2B購買における意思決定関与者は平均13人にまで増加しており、大規模案件では6〜10人が標準レンジ、11人規模の購買委員会が編成されるケースも珍しくないと報告されています。そして最後に、組織変更や人事異動の頻度が上がっており、半年前の組織図はすでに古くなっている可能性があるということです。
つまり組織図という「静的な」情報だけでは、今の意思決定の実態を捉えきれません。だからこそ、案件ごとに、その時点で誰がどう関与しているかを描き出す「ダイナミック」な地図が必要になります。
このマップでは、一人ひとりに「スポンサー」「意思決定者」「コーチ」「門番役」「ご意見番」「傍観者」といった関係役割を割り振り、自社との関係性を「ポジティブ」「ニュートラル」「ネガティブ」「未コンタクト」で色分けします。重要なのは、競合他社と強い関係を持つ人物も、あえて明示的に書き込むという点です。見えていない競合の存在を可視化することも、このマップの大事な機能のひとつになっています。
ワークショップ内で紹介される、地図を描いた後の自己点検リストも興味深いものです。「緑の点(好意的な関係)ばかりになっていないか」「競合の存在を意図的に除外していないか」「反対派への影響関係を描けているか」「現場担当者だけで固まっていないか」——。ポジティブな関係ばかりが並ぶ地図は、実は危険信号だという指摘は、多くの営業パーソンにとって耳の痛い話かもしれません。
この地図を描いた後に紹介されるのが、こんな一節です。
「営業活動とは、勝率を上げる活動ではなく、負けるリスクを一つずつ排除する活動である」
そしてここで、意外な引用が登場します。『孫子の兵法』の一節です。「味方を見出し、敵を見出し、味方を増やし、敵を減らす。敵の力を削ぎ、あるいは味方に転じさせてしまう」。ここから導かれる「サポーター分析マップ」というツールでは、関係者を賛同・中立・反対の軸で整理し、それぞれをどう動かすかを検討していきます。
敵を「避ける」のではなく、その力を削ぐか、味方に転じさせる——この発想の転換は、地味ですが実務的にはかなり効きます。強硬な反対派を無視して別ルートから話を進めようとする動き方は、意思決定の土壇場でその反対派にひっくり返されることが少なくない、という指摘も、現場で似た経験をしたことのある営業パーソンには刺さるはずです。実際、ワークショップの参加者からも、「勝率を上げる」ではなく「負けるリスクを減らす」という捉え方そのものが新鮮だった、という声が複数寄せられています。
もう一つ、このワークショップが正面から扱っているのが、キーパーソン一人ひとりの「本音」の見抜き方です。ワークショップでは、顧客の動機を「ビジネス上の動機(公式)」と「個人的動機(非公式)」の2層に分けて理解することを勧めています。売上拡大やコスト削減といった公式な動機の裏には、昇進、異動、個人的な事情といった、口には出しにくい非公式な動機が必ず存在します。
その本音を見極める手がかりとして紹介されるのが、What(何を)・How(どうやって)・Why(なぜ)・So-What(何のため・どんな影響があるか)という4層の会話モデルです。表面的なWhatやHowの話をしていても、必ずWhy・So-Whatに話を紐付け直し、その瞬間の顔色や声のトーンの変化を観察します。その人の本当の立ち位置は、往々にしてこの上位2層にこそ現れるといいます。
そして、意思決定関係者の「消極的賛成」を最も効率よく引き出す武器として位置づけられているのが、「大義名分」という概念です。ワークショップではこう説明されます。
「大義名分とは、説得の言葉ではなく、反対しにくくする構造である」
どれほど優れた提案であっても、社内のどこかから「それは本当に必要なのか」という声が上がった瞬間、意思決定は止まります。逆に、その提案が会社の戦略や経営指標の改善に誰の目にも明らかにつながっていれば、反対する側はそもそも声を上げにくくなります。良い提案を作ることと、社内で通る提案を作ることは、別のスキルだという指摘は、シンプルですが本質を突いています。
このワークショップの対象は、現場の一人ひとりの営業パーソンではなく、チームを率いる営業マネージャーです。理由はシンプルで、この技術は一人が身につけるだけでは効果が半分にとどまるからです。
ダイナミックリレーションシップマップも、サポーター分析マップも、大義名分の見極め方も、マネージャー個人の頭の中にしまっておくのではなく、チーム全体の「共通言語」にしてはじめて真価を発揮します。案件レビューの場で「このお客様のDRM、コーチは誰になっていますか」と一言聞けるようになるだけで、部下との会話の解像度は一段上がります。日頃の1on1やコーチングの中に、大義名分や消極的賛成という物差しを持ち込めば、案件相談は驚くほど具体的になります。
実際、ワークショップの最後には、参加したマネージャー一人ひとりに「チーム内で勉強会を開く」「案件ミーティングに取り入れる」「日頃のコーチングに取り入れる」といった、チームへの具体的な展開プランを言語化してもらう時間を設けています。個人の技術としてではなく、チームの共通言語として持ち帰ってもらうことを、最初から狙って設計しているということです。
共通言語化されたチームは、案件の状況を一つの地図で共有できるようになり、上司・同僚によるレビューの精度も上がります。結果として、営業活動の質とスピードは、個人の頑張りだけでは届かない水準まで劇的に改善していきます。
この点について、ある参加者からはこんな声も寄せられました。
以前にも近い考え方を扱う研修を受けたことがありましたが、正直なところ、当時はうまく実践に移せていませんでした。今回はその反省も踏まえて、すべての顧客に一律で当てはめるのではなく、対象を絞って効率的に運用したいと思います。また、あくまでフレームワークの一つなので、項目を無理に全部埋める必要はないという理解を持って、チームメンバーにも展開していきたいと思います。
型やツールは、完璧に使いこなすことよりも、チームの中で「使われ続ける」ことの方がはるかに重要です。全顧客・全項目を網羅しようとして形骸化するより、対象を絞り、フレームワークの一つとして柔軟に運用する——この参加者の姿勢そのものが、このワークショップが目指している「現場で本当に使える」状態だと言えます。
実際にこのワークショップを受けた方々からは、こんな感想が寄せられています。
案件を組織対組織ではなく人対人として捉え、一人ひとりの動機に目を向けてアプローチすることの大切さを実感しました。関係性を築くための具体的な手法を学べたので、日々の営業活動に取り入れていきたいと思います。
顧客との関係性を可視化できたことに加えて、組織としてではなく一人ひとりの個人的な欲求まで踏み込んで捉えることの重要性に気づかされました。
ボトムアップ型の意思決定の中で物事を進めるには、多数派をどう形成するかが鍵になるという点が腹落ちしました。登場人物との関係性を可視化した上で、最終的にどのような状態を目指すのかというゴールを定めることの大切さを学びました。
これまでは、反対している人をどう説得して賛成に転じさせるかばかり考えていました。ただ、必ずしも積極的な賛成でなくてよく、消極的な賛成を積み上げていくことでも物事は前に進むという視点は、大きな発見でした。
「どの顧客に、どんな戦略で臨むか」を考えるための具体的なツールが手に入りました。特に、関係者全員の賛成を取りに行く必要はないと分かったことで、気持ちがかなり楽になりました。
扱っている内容が非常にリアルで、実務にそのまま直結していると感じました。座学だけで終わらず、自分が実際に担当している顧客を題材にしながら手を動かすワークだったので、学びが具体的な行動につながりやすいと思います。
事前に自分の担当顧客について調べておいたことで、当日の内容がぐっと自分ごととして理解できました。テーマごとに区切って周囲とディスカッションする時間があったのも良かったです。
何が分かっていて、何が分かっていないかを可視化すること自体に価値があり、そこから次に取るべき行動が見えてくる、という感覚が新鮮でした。
人はきれいごとだけでは動きません。好き嫌いも、保身も、異動の思惑も、すべて含めて「人間」です。それを否定してスマートな理論だけを教えても、現場では使えません。
WorldArxがLearning Facilitatorとして大事にしているのは、この「人間の業」を否定せず、むしろ出発点として肯定することです。社内政治も、多数派工作も、本音と建前のズレも、悪いものとして蓋をするのではなく、組織で意思決定が行われる以上必ず存在する構造として、正面から扱います。そのうえで、理論やフレームワークを、浮世離れした机上の空論のままにせず、現場の生々しい現実にきちんと接続するところまで作り込みます。地図を描いて終わりにせず、実際に誰に、どう声をかけるかという一言まで落とし込みます。この記事で紹介したフレームワークの一つひとつは、その姿勢の具現化です。