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なぜ外資系企業の日本語トレーニングは現場からの受けが悪いのか?
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なぜ外資系企業の日本語トレーニングは現場からの受けが悪いのか?

[更新: 2018年07月17日 / カテゴリ: コンサルティング・サービス]
「トレーニングの内容は本社で全世界共通なんだけど、その内容を日本語に翻訳してそのままやってもどうもいまいち現場からの受けが良くないんだよね・・・。」こんなことを仰るという外資系企業の人材開発や人事の皆様が多いようです。昨今のコスト削減の流れの中においては、各国固有の事情を鑑みて、国ごとにトレーニングのコンテンツを開発することが難しくなってきています。結果的に、やむを得ず中央集権的に開発された世界共通のコンテンツを、日本語に置き換えて提供せざるを得ない企業が圧倒的に増えているのではないでしょうか。しかし、残念ながら多くの場合、手応えや現場の反応はあまり好ましいものではないケースが少なからずあるようです。なぜ、こうなってしまうのでしょうか?

東洋と西洋の思考システムの違い

いきなり話が壮大になってしまうかもしれませんが、物事の捉え方、大きくいうならば、世界観の捉え方が根本から異なるという点です。別の表現を試みてみましょう。西洋の『わかった』が分析・実証的=デカルト的であるとするならば、東洋の『わかった』は経験的・統合的=老子・荘子的だとされています。ちなみに、この二つの思考をうまくつなげることが、これからの人工知能の研究=人間の意識と認識のあり方を研究する上では重要だと言われています。実は、この東洋と西洋の思考システムの違いが海外で開発されたトレーニング・研修コンテンツの日本での受けを悪くしている要因なのです。以下にいくつかの違いの要素を列挙してみましょう。

説明の仕方の違い

日本においては、起承転結で物事を捉え、その順番で説明することが一般的です。つまり、起で背景を説明し、承でどのようにその状況が発生し、転でどのようにほかの状況が影響を与え、今の状況となり、結でいよいよ、結論を述べるという順番に慣れ親しんでいますし、その順番で説明されると理解度が高まります。
しかし、デカルト的な世界観においては、起承転結ではなく、結論→理由→証拠→次のステップ という形で論陣を張り、議論を戦わせ、相手に説明するという流れが標準的です。つまり、トレーニングや研修コンテンツが海外で開発される外資系グローバル企業においては、コンテンツの説明の順番がデカルト的に設計されていることが多く、これが日本におけるデリバリーにおいて、「いまいち腑に落ちない」という状況を招く一因となっています。

質問することに対するスタンスの違い

日本においては、質問することは、タブーであり、無知をさらけ出す恥であるという認識が根強く定着しています。しかし、ソクラテスに端を発するように、西洋においては問いかけは非常に知的なツールとして定着し、活用されています。その場における誰もが思いつかないような質問がGood Questionであり、そういった問いを発する人が能力のある人だと考えられています。つまり、東洋においては、賢者とは「質問する必要がない、察しの良い人」であり、西洋においては、「誰も思いつかないような問いを発する人」であると言って良いでしょう。つまり、トレーニングや研修コンテンツが海外で開発される外資系グローバル企業においては、コミュニケーション系の研修や営業スキルの研修コンテンツにおいて、質問=Questioningが西洋的な位置づけの中で設計されていることが多く、これが日本におけるデリバリーにおいて、「そんなことをいちいち質問する理由がよくわからない」特に営業系の研修においては「そんなことをお客様に質問するのは、こちら側の勉強不足を露呈する失礼な質問だ」あるいは「そんな挑戦的な質問をしろなんて、顧客との関係性をまったく考慮していない」という反発を招く一因となっています。

日本人特有の参加意識

遠慮がちで控えめな参加態度、問いかけに対する応答があまりないなど、日本人の参加意識も、欧米のそれとは大きく異なります。それはなぜなのか、ここで簡単に触れておきましょう。日本においては、正解があるという教育システムが明治以降の近代において定着しています。暗記で記憶力を試し、唯一の正解がある数式を解かせる。(ここは日本の教育システムの是非を論ずる場ではありませんので、あくまで特徴として述べているに過ぎません)このシステムに慣れてきた我々日本人は、問いかけられた際には「唯一の正解がある」という思い込みがあり、この思い込みが「間違えたことを言うことに対する恐怖感」を無意識のうちに創り出しています。この間違えたことを言う恐怖感が、遠慮がちで控えめな参加態度、問いかけに対する応答があまりないという日本特有の状況を作り出しています。つまり、欧米型の参画意識をベースに作られたコンテンツにおいては、相応の工夫を行わないと、参加者同士の意見を共有するなど、相互の学びを促進することは非常に困難になりがちです。

言語の日本語化だけでは不十分なのです

コンテンツの要点や流れを大幅に変えることなく、日本人が納得感高くコンテンツを学習し行動変容につなげる一歩となるような、コンテンツのローカリゼーションが重要な要素となります。言語の翻訳、つまり横(英語)のものを縦(日本語)にするだけでは、学習効果は高まりません。言語そのものだけではなく、思考システム、文化、参加意識など様々な分野を横断的に違いを踏まえて、一歩踏み込んだコンテンツのローカリゼーションが必要なのです。WorldArxには、外資系企業で開発された世界共通のコンテンツを日本で効果的にデリバリーしてきた知見と実績があります。
リーダーシップ、リーダー育成、キャリア開発、営業スキルといった多種多様なトレーニングコンテンツのご支援が可能です。
「トレーニングの内容は本社で全世界共通なんだけど、その内容を日本語に翻訳してやってもどうもいまいち受けが良くないんだよね」という人材開発や人事の皆様、どうぞお気軽にご相談ください。
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