働き方のDXと「反都市化」が引き起こすワークライフインテグレーションの加速
[更新: 2021年05月07日 / カテゴリ:
キャリア自律]
今回のコロナショックの影響によって発生する大きな社会構造の変化の一つが「労働空間がリアル空間から仮想空間へシフトすること」です。リモートワーク、テレワークという概念や働き方は、実はそれほど新しい考え方ではなく、一部の企業などではコロナショック前からごく普通に行われてきていました。しかし、これまでリモートワークの導入は、そういった特定の業界におけるある意味「例外的」な実践を除けば、世間全般では約ー割程度の普及率を踊り場にしてそれ以上はなかなか進みませんでした。しかし、今回のコロナショックにより、半ば「強制的な社会実験」としてほぼ全ての企業に試行・導入された結果、多くの人々がメリットを感じ、「もう元に戻れない」と感じていることが調査結果として示されています。
これを、マーケティングにおけるライフサイクルカーブのコンセプトであるキャズム理論に当てはめて考えると、一般に「ここを越えれば一挙に普及が進むというライン=キャズム」は普及率16ー18%と言われていますから、今回はこのラインを一気に突破してしまったことになります。しかし、さして大きな混乱もなく、働き方の風景がこのように急激に変わってしまった現在の状況を直視すれば、毎日、何百万人という人々が「通勤地獄」と海外の国から揶揄されるような苦行に耐えながら、あるいは、大型の台風が接近しているにもかかわらず、通勤経路の迂回を重ねてどうにかオフィスにたどり着くなど、飽きることもなく物理的に集まることに執着していたかつての労働習慣について、どうして誰も一ミリの疑いも抱いていなかったのかが、不思議でなりません。特にWindows95以降、インターネットとメールが仕事上の通信手段としてスタンダードになった1990年代後半以降は、そもそもオフィスという物理的な空間に集まりながら、各自の机に着席すると同時に、机上のパソコンから仮想空間に入ってメールでコミュニケーションをとり、パワーポイントやエクセルでアウトプットを作成する、つまり物理空間に集まってから仮想空間で働くという映画のマトリックスさながらの一種の「入れ子構造」で仕事をやっていたわけですから、本質的な部分に目を向ければ、そもそもオフィスという物理空間に集まることの意味合いは既に砂上の楼閣的な位置付けとなっていて、物理的に集まることの意味はすで形骸化していたと言えるでしょう。
では労働空間が仮想空間へシフトすることが、その結果としてどのような変化を引き起こすのでしょうか。それは「反都市化(Dis-Urbanization)」です。「反都市化」というのは、都市に人が集まってくるという「都市化」と逆のトレンドです。コロナショック前の世界は長らく「都市化」の傾向が加速化しており、多くの調査会社やアナリストたちも、21世紀を通じて「都市化」がさらに加速するだろうという予測とそれを前提とした戦略立案を行っていました。しかし、この長く続いた「都市化」の流れが、今回のコロナショックの影響を受けて少なくとも弱まることが予測されており、場合によっては逆転することも考えられるとされています。
これまでは、通勤1~2時間圏内に住居を構え、勤めている会社に週に5日出勤し、土日に休みを取るというのが一般的な「普通の人生」だったわけです。会社というのは「毎日行くのが当たり前」であり、そもそもから「週に何日、会社に行くのか?」という論点は議論の対象にすらなってきませんでした。つまり「普通の働き方・生き方」が極めて狭い範囲で定義され、誰もそれに疑念を抱かなかったのがこれまでの社会なわけです。
通勤が毎日のことになれば、会社との物理的な距離をなるべく縮めて通勤の労苦をできるだけ少なくしようと思うのは当然のことでしょうし、よほどのこだわりがなければ遠方に住む理由もありません。つまり、このような就業形態が標準となる社会では、人生における「生き方・時間の使い方の選択肢」はほぼ会社によって規定、矮小化されてしまっていたということです。
しかし、この稿を執筆している2021年5月現在、これまで多くの人が当たり前だと信じて微塵も疑ってこなかった「毎日、電車に乗って会社まで通勤する」という、人生のおよそ半分の期間を占めていたライフスタイルがもはや大前提として崩れてきています。各種の調査によれば、現時点で在宅勤務をしている人のうち、おおよそ7~8割の人は「毎日会社に通勤する」という従来のライフスタイルに戻ることにすでに強い拒否反応を示しています。この先、通勤の頻度がどれくらいのスタンダードで落ち着くかは全くわかりませんが、社員意識調査の世界最大手であるギャラップ社の現時点での調査によると、社員の工ンゲージメント(仕事に対する取り組み意欲)が最も高まるのはリモートワークの比率が60~80%の状態だという結果が出ています。これはつまり週に1~2日はオフィスで働き、残りは自宅あるいは別の場所、いわゆるサードプレイスで働くのが最もエンゲージメントが上がる、ということです。もちろん業種・職種によってはこれまで通り、毎日会社ゃ工場に通うことが求められるのだろうとは思いますが、仮にギャラップ社の結論に社会が収敏して週に1~2日程度の通勤がスタンダードになるとすれば、社会に甚大なインパクトをもたらすことになります。
もし「週に1~2日程度の出勤」が社会的なスタンダードになれば、都市中心部の昼間就業人口は単純計算として1/5~2/5となり、結果的に都市部のオフィススペースの半分以上が空室となり、都市部の不動産開発は停滞し、交通・運輸・飲食等の需要も同様に5分の1から5分の2に縮小することを意味します。すでに本稿執筆中の2020年3月の時点で、東京都の人口は流入人口より流出人口の方が多い、いわゆる「転出超過」の状況になっています。この先、このトレンドがどこまで継続するかは不透明ではありますが、今まで誰も経験することのなかった「強制的な仮想空間に閉じた労働」を行ってみた結果、実はそれまで当たり前とされてきた「働き方・生き方のモデル」が単なるフィクションにすぎなかったということに気づき、「本当に自分らしい人生とは何か?」「自分にとって幸福な人生とはどのようなものか?」を考えた結果として、何もあえて生活コストの高い都市近郊に住む必然性をゼロベースで見直すことから始まり、その延長線上にどこに住むか、住みたいか、どう生きたいか主体的に考え、その結果として都市への流入のトレンドが逆転しているのだと考えてみれば、これはまさしく「働き方と生き方を主体的に自分で考え、生き方の選択肢を広げるワークライフインテグレーション」の顕れと考えることができます。
週に1~2日程度の頻度での通勤であれば、会社と住居の距離や位置関係をあまり気にすることなく、住みたいところに住むことが現実的な選択肢となります。通勤費用を企業と個人のどちらが負担するかという課題は残りますが、京都に暮らしながら、週にー度は東京へ新幹線で通勤するということも十分にありうるでしょうし、鎌倉・逗子・葉山・勝浦・九十九里などのビーチリゾートの街、あるいは軽井沢・夢科・那須などの高原リゾートを居住地にすることも十分に可能でしょう。仮想空間シフトが進むことで、東京を含む都市で働く人の「居住地の多様性」は間違いなく高まりることになるでしょう。
さらに言えば、東京で発生するような「職住分離の遠心力」は、また同様に他の都市でも起きることになるからです。具体的には、たとえば札幌・仙台・名古屋・大阪・神戸・福岡などの都市部に働いている人々もまた、それら個別の都市部に居住しながら働くする意味合いが希薄化し、「であれば、どこに住んでもいいのではないか?」ということに気づくはずです。そうなると、それらの人の中から一定の比率で「東京に住みたい」という人も現れてくるでしょう。あるいは、神戸の企業に働きながら東京に住む、福岡の企業で働きながら東京に住むといったことも選択肢として俎上に上がるわけです。このような事態が一般的になることで、これからの日本の社会では今まで定義され、それが当たり前だと思われていた「普通の生き方」という定義が大きく揺らぐことになるでしょう。
そして、これは企業の採用戦略にも大きな影響を及ぼすことになります。仮にここにX社とY社の2社があり、そのどちらに就職しようかで迷っている人物がいたとして、X社は週に5日の出社を社員に義務付けているのに対して、Y社は週にー日以上の出社を任意に選ばせている、とするとどうでしょうか?給与水準が同じだとすれば、ほとんどの人がB社を選ぶはずです。なぜならB社の給与水準は実質的にA社のそれよりも高くなるからです。週に1~2日程度の出社でよいとなると、会社のそばに住む合理性が希薄化します。するとわざわざ生活コストの高い都市部に住むよりも、2時間程度で都市部にアクセスできる環境の良い郊外に住もうという人も増えるでしょう。あるいは、季節ごとに住む町を変えていくような生活を選ぶ人たちも出てくると思います。
また、テレワークが働き方の中心的な位置づけになると、働き手の会社に対するロイヤリティーは徐々に変化するのではないでしょうか。
スキルを持ち、自律的に働く力を持つ人たちは、一つの会社の会社員として働くのではなく、生活拠点として選んだその場所で、新しい着方をつかみ取り、新しいワークライフインテグレーションの有り様をその人なりの形で実践することになります。
そして、今まで声高に言われてきたにもかかわらず、それほど大きな成果を残せなかった地方への産業誘致も、テレワークで自律的に働く能力を持つ人が、パソコン一つ持って地方に住み始め、その結果として新しい産業が勃興すると言うことも起こり始めるでしょう。
では、次稿ではこれからどのようなことが起こるのかを考察していきたいと思います。