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日本の働き方は本当に「チームプレイ」? グローバルチームとの違いとは

日本の働き方は本当に「チームプレイ」? グローバルチームとの違いとは

[更新: 2018年02月21日 / カテゴリ: グローバル組織開発]
一般には、グローバルは「個」の世界で、日本は「チームプレイ」の世界だと言われます。しかし、実は私の印象はだいぶ異なります。

グローバルは、本当の意味でのチームプレイの精神を持っていると思います。「個=Individualは、もちろんそれぞれある。それと同時に、全体としてチームのパフォーマンスを大切に考え、チームがうまく行くためにどうするべきか?」を第一に考える傾向があるように感じています。例えば、ワールドカップのサッカーや大リーグの野球のように。

一方で、日本は「みんなが同じ事を考え、同じ行動をとらないといけない」という発想で一丸になろうとする傾向があるのではないでしょうか。わかりやすい例の一つとして、高校野球や駅伝はそういった発想が「結晶化」した象徴的な存在であるような気がします。

つまりそれは、違いがそれぞれにあるという前提の上で、全体のパフォーマンスを最大化しようというグローバル的な考え方と、極力一つ一つの個の差を減らして、その間の調整コストやエネルギーを少なくし、同質の力を集中さようという日本的な考え方の違いと言えるのではないでしょうか。
しかし、今のような変化が激しい環境においては、グローバル式の多様な個性を前提とした上でのチームプレイというか、やり方でなければ、競争上は不利でしょう。

私の経験を踏まえて端的に言えば、日本式のやり方だと、例えば10人なら10人のチームで、一番優秀な人の能力=チーム全体の能力に収束してしまうという状況が起こりがちです。一方で、グローバル式のマネジメントの経験からは、例え一人一人の実力が仮にそれほどたいしたことは無くとも、チームとして集まり、多様な発想とそれぞれの得意技がシンクロし、相乗効果を上げた場合には、大きな爆発力を発揮し、10人の能力の総和よりも、もっと上に行く可能性を秘めています。(もちろん、常にそうなるというわけではありませんが)

私がグローバルな多国籍メンバーを率いるときに壁にぶつかり、そして壁を打破したのはまさにこのメンバーとのやりとりの方法でした。私がハブ=中心ポイントになるのではなく、多様なメンバーが多様な意見を同じ場所と時間でぶつけ合えるようにするスター型=星形の場を作ること。
一方で、日本のマネジメントスタイルを見ると、むしろこの流れに逆行しているのではないかとすら感じます。あえて言えば、この20年ほどで日本は、ダイバーシティーのかけ声もむなしく、逆に多様さを受け入れられなくなっているのではないでしょうか?

今こそ、グローバルなチームの一員であるならもちろん、むしろ日本人同士のチームであっても、「聞き手の責任」を全員で発揮し、その場に、そのチームにどうやって貢献できるか?を常に試行錯誤する。マネージャーはそういう文化を醸成することがまさに求められていると考えます。

弊社が数々のグローバル企業にご提供している、外資系企業向け組織開発ソリューションである、「Global Player 2.0」ワークショップでは、こういったチームのあり方についても一歩踏み込んだ分析と解決方法についてご提示させていただいております。詳細は是非 こちら の Blog記事をご参照ください。

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