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何故日本人はグローバルな場面でコンフリクトマネジメントができないのか?(2)

何故日本人はグローバルな場面でコンフリクトマネジメントができないのか?(2)

[更新: 2017年03月23日 / カテゴリ: グローバル・コミュニケーション]

前稿の振り返り

こちらの前稿では、何故日本人が対立を避け、生産的なコンフリクトとして対処できないのかという点について記しました。その理由は、一言で言うなら、日本人は対立を避けてきたからです。日本人は、元来、対立と向き合うことが苦手です。さらに言えば、向き合う以前に、「対立していることを対立していると認める自己認知すら苦手」だと言えます。「和をもって尊しとする」という考えが浸透しており、結果として「対立」は良くないことというマイナスイメージがあるからです。しかし、果たして日本人同士には対立は存在しないのでしょうか?言うまでもなく、そんなことはあり得ません。さらに言えば、表だった対立よりも、日常の中では、隠れた対立の方がより多く存在しているのではないでしょうか。例を挙げてみましょう。日本語に特有な言い回しとして、「それでいいです」という表現があります。これは、「いいです」と言いながらも「本当に良いと思っているわけではない」と言う意味を暗示的に相手に伝えたいときに使われる表現だと言えるでしょう。この消極的な賛成も、突き詰めれば「隠された対立」に他ならないのです。

感情的にならず、物事と自分をできるだけ切り離して見つめ、その事象に向き合い、自分の考えや立場をきちんと述べる。先程の会議の例であれば、ささいな違いでもきちんと明示的にテーブルの上に出してみる。それをやらないことは、「隠された対立」になり、例え微妙な差であったとしてもそれらが積もり重なり、うまく解消されないままであれば、大きな機会損失になります。

しかし、対立はこれからは異質な力と価値を引き出すための源泉です。
そして、厳密に言えば対立とコンフリクトは違うものなのです。
タスクに関して、異なる複数の意見、視点があることから発生する理性的なコンフリクト。
異なる意見のぶつかり合いによって、新しいアイデアや価値、イノベーションが生まれる可能性を秘めた「良い対立」が存在します。

この稿では「良い対立」とはどのようなものなのか?我々がそれに向かっていくためにどのような心構えを持つべきなのかについて、改めて書いてみることにします。

何故グローバルではコンフリクトの対処方法が確立され、日本ではそうではないのか

欧米国家の多くは、その成り立ちの歴史の中で、領土戦争や大量な移民・移住などを経験することで、結果的に多様な人種や文化が混ざり合いながら現在に至っています。言語・文化・価値観の異なる人々がコミュニケーションを図り、生きていくためには、誤解を招きかねない曖昧な意思疎通や、その場の空気などを当てにすることができません。「当たり前」が異なる複数の人達に、明示的に説明し、明文化し、お互いに共有し、さらにその中で発生するコンフリクトにどのように対処するかと言う視点や技術も発達しています。

グローバルな環境では、対立をコンフリクトと捉え、正面から向き合ってくる人が大多数です。そのような人々と対峙した場合、対立を避けたがる普通の日本人は、戸惑い、反射的に避けてしまうのです。もともと、対立したくない穏やかな関係性になれきってしまっているために、どう対応するべきかという方法がわからないのです。これは、対立をコンフリクトとして捉え、建設的に対処しようとするための、心構えとその方法を教わることがなかったから、無理もないのです。

外資系企業に関わらず、もしあなたが組織を率いるリーダーであれば、これからはコンフリクトへの対応は待ったなしだと思います。なぜなら、コンフリクトに対処することは、人との関係性が生じる場面では常に求められることであり、「相手とわかり合い、物事を良い方向に導き、新たな価値を生み出すための絶好のチャンス」だからです。多様な価値観を持つ人が集まれば、コンフリクトは必ず起きます。しかし、これまで日本人は、それを出来るだけ避けるべき事態、表に出すのは良くないものだとして扱ってきました。しかし、コンフリクトを近視眼的に単なる「対立」として扱い、行き過ぎた「共感偏重主義」のもとで排除することは、これからは大きな機会損失につながっていくとWorldArxは考えます。

どのような心構えを持つべきか

対立ではなく、コンフリクトとして建設的に対処していく考え方については、項を改めて記しますが、まずはそのために、基本として重要な要素(心構え)を3つ挙げたいと思います。

●人と違うのが当たり前という心構え
国境を越えて活躍する人々は、「人と同じでなければならない」と考えない代わりに、実は死ぬほど気にしていることがあります。それは、「自分のクライアントと自分の組織が目指していること」です。それ以外のこと、例えば、「周りに自分がどう思われているのだろう」、あるいは、「周りに合わせなければならないのではないか」についてはほとんど気にしていません。自分の考えが他の人と異なり、自分が周りと異なる存在であると言うことはむしろ当たり前だと思っています。そして、人と違う存在であることこそが、最高の賛辞を受ける理由になります。なぜなら、他者と違う考えを持つ人間には、チームで新しい付加価値を生み出せる可能性があるからです。そのため、常に周りと合わせる人は、むしろboring(退屈な)と見なされる確率が高いと言えるでしょう。実際、私の周囲を見ても、「自分のここが違う」と積極的にアピールできる人間のほうが、好感を持って受け入れられています。ですから、グローバルな現場に一歩足を踏み入れたならば、積極的に自分の考え方や個性を表現するべきなのです。人と違う部分に、確固としたポリシーがあれば、人々の尊敬を集めることにつながります。人と違うことが、その人の個性として周りから認められる要素になります。建設的な意見を述べる人、共通のゴールを見つけるために意見を出す人こそが、周囲に尊重されるのです。自分らしさを大切にし、人と違う意見を持つことは、日本人の強みの一つである「協調性」を失うことではありません。この二つは共存し得る価値観です。公やチームの利益最大化のために、積極的に努力する過程で発揮される日本人らしい協調性は、むしろ歓迎されます。我々が注意すべきは、協調性と同調圧力は異なるという点ではないでしょうか。そもそも考えが違うのだから、共感が得られる方がむしろ稀なのだという発想です。行き過ぎた「共感偏重主義」から脱却する必要があるのです。
●自己主張からスタートする。
グローバルな環境のコミュニケーションは自己主張からスタートします。まず『私はこういう主義でやっています』『私はこうしたい』ということをストレートに表現し、相手に自分の立場を理解してもらうのです。自己主張とは、自分の言い分を相手に押しつけるものではなく、自分のアイデンティティを伝え、さらには相手のアイデンティティを知るためのプロトコルです。価値観が多様化する社会においては、この自己主張というプロトコルがこれから必要不可欠となることは明らかです。グローバルな環境においては、「相手が何を考えているのかを徹底的に理解するよう努めること」と「自分が何を目指して何をしたいのかを、丁寧に何度でも説明すること」の2つは成功の鍵なのです。

日本人のコミュニケーションには、『わざわざ口に出さなくても察してくれるだろう。察するのが当たり前』という考えが大前提があります。しかし、こうしたコミュニケーションは多様化の進んだ社会では残念ながら通用しません。これからは、日本人も自己主張は数あるコミュニケーション方法の一つだという認識を持ち、自分の言い分をストレートに主張していかざるをえないのです。もちろん、自己主張するときの気持ちと態度も重要です。日本人にとって自己主張は強い口調でするものだというイメージがありますが、決してそうではありません。英語という言語の特徴からしてストレートな表現になってしまう部分は避けられませんが、おだやかの気持ちで笑顔を保ちつつ、ゆったりとした口調で主張すれば、日本人らしく、うまく自分の言い分を伝えることが出来るのです。「言わないでもわかる」 から「言わないとわからない」というのは、多くの日本人の方にとっては、「コペルニクス的展開」でしょう。しかし、コミュニケーションに自己主張を取り入れるのは、自分の言い分を前面に押し出す行為であるのと同時に、相手の主義や要望をできる限り優先しようという行為でもあるのです。また、組織の中にも、そういうことを良しとする風土を整備する必要があります。率直な物言いや主張主義が強い人を決してアウトローとは見なさずに、リーダーがチームメンバー同士の対話を重視するように組織風土を変えていく必要があります。
●シンプルにかつ注意深く伝えることを心がける
そして、伝える内容についても創意工夫が必要です。起承転結型ではなく、論点をシンプル結論→理由→事実→次のアクションという順番で整理し、端的に伝える必要があります。
物事や、やるべきことがシンプルに整理されていると、本来の目的が明確になります。その結果、障害が排除され、物事を推し進めるスピードが加速します。 「シンプル化」には、実に威力があるのです。
テレビの外交問題のニュースを例に挙げましたが、さまざまな価値観が混在していた世界を相手にする場合、「相手にボールを渡してしまう」というコミュニケーションは、非常に不利なのです。受け取る側によって意味が変わってくる言葉や表現では残念ながら高い確度で失敗します。自分で「誰に渡しても同じ伝わり方をする言葉」をきちんと準備して、相手に渡さなくてはならないのです。
単刀直入なコミュニケーションが無ければ、結論はうやむやになってしまいます。もちろん、人間同士ですから、言い方・態度が大切であることは言うまでもありません。表情やボディランゲージで『攻撃しているわけではありません』という態度をきちんと示すことは肝要です。

まとめ

私自身が多国籍のメンバーからなるチームをリードした経験からも、異なる意見や価値観を持つ相手に向き合って行くには、実は相当な「我慢強さ」が必要なのです。対立を避けることで「丸く収めてきた」日本人のやり方よりも、時にぶつかり合いながら対立を乗り越え、コンフリクトとして対処してきた欧米の人々の方が、本当の我慢強さを身に付けているのかも知れません。

平穏を心から愛し、対立を無意識に避けがちな我々日本人も、コンフリクトの中にあるものや、その背景にあることを理解しようとする努力の中から生まれる喜び、新しい価値を見いだし、対立を怖れず、当たり前のものとして扱う心得を身に付け、そろそろ本気で対立をコンフリクトとして対処するタイミングがやってきたのではないでしょうか。

対立を建設的なコンフリクトとして、どう対処していくべきか、WorldArxには知見があります。どう対処していくべきか、一緒に考えてみませんか?

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